オノサト・トシノブと小コレクター運動
今回の更新では、「Silkー62」を描いたオノサト・トシノブと小コレクター運動の紹介を行います。
おさらいになりますが、オノサト・トシノブ氏は日本の抽象絵画を代表する作家の1人で、応召とシベリア抑留のために捜索活動の中断を余儀なくされながらも画家としての創作活動を全うした人物です。
作風については、1955年から円と格子の画面分割のみによる錯視的な抽象絵画の制作を行うようになり、1970年代にはより複雑な構成に至ったことが知られています。
オノサトはヴェネツィア・ビエンナーレやその他欧米の美術展に積極的に出品・参画し、国際的な評価を得たという功績がありますが、彼が作家として評価を受けるようになった重要なきっかけとして、久保貞次郎氏との交流があります。
久保は同じく画家である瑛九が行っていたデモクラート協会を支援し、「創造美育協会」を組織しており、画家である瑛九と共に版画の講習会といった活動をしており、その一環として、久保は若い画家の作品をオークションで購入することで画家を支援するという取り組みをしていました。
さて、久保氏は今回の展覧会の重要なテーマである「小コレクター運動」を提唱した人物でもあります。
これは一般の人が美術に関心を持つきっかけとなることを目的として行なわれ、この運動によって多くの人が小コレクターになることで一般の人と美術の距離を近づけ、美術を世の中に浸透させること、そして無名の作家を支援することを目的としていました。
小コレクターとは、美術品を大規模に収集する人をイメージさせる「コレクター」に対し、作品を3点以上所有する人のことを指します。
久保は、小コレクターを増やすために大会や、無名の作家たちによる美術品の鑑賞頒布会も行い、この運動の最盛期には「小コレクター全国大会」という大会も開催をされました。この運動の中で支援を受けた作家の中にオノサト・トシノブ氏は名を連ねていました。
第一回目の出品者にはオノサトのほかに、瑛九、靉嘔、池田満寿夫らがいました。
彼らのつながりは小コレクター運動に留まらず、画家としての地位を押し上げることにつながっていきました。
この他にも、久保は1957年に「版画友の会」を創設、そして60~70年代の版画の時代を演出し、ヴェネツィア・ビエンナーレのコミッショナーとしてオノサト・トシノブらを世界の舞台に送り出したことは特筆されるべき功績でしょう。
このように、久保、そして彼が提唱した「小コレクター運動」はオノサトの芸術家人生に多大な影響を与えたというわけです。
文責:K.I.