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池田満寿夫と小コレクター運動

今回の更新は最後の作家と小コレクター運動との関係です。

池田満寿夫と小コレクター運動についてご紹介します。

 

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小コレクター運動とは

小コレクター運動は、美術品の熱心なコレクターとしても知られていた美術評論家、久保貞次郎が中心となって行われた活動です。発端は、久保が提唱した美術教育の運動を行う「創造美育協会」の活動資金を得るために行われたオークションで、このオークションが1950年代に小コレクター運動として独立・発展しました。

 

小コレクター運動の目的①

この小コレクター運動には、1人3点以上の美術品を所有する人のことをささやかなコレクターという意味で「小コレクター」と名付けることで、一般の人々が気軽にコレクターを名乗り美術を世の中に浸透させる狙いがありました。実際、この運動で頒布された作品は、一般人でも手に入れやすい版画やデッサン水彩画などが多く取り扱われていたそうです。

 

小コレクター運動の目的②

また、小コレクター運動のもう一つの目的として挙げられるのが、この運動によって無名の作家の活動も支援することです。オークションで頒布されるのは久保が支援していた新進気鋭の作家達が制作した作品で、彼等はここで作品を売ることで収入と支持者を得、作家としての実力や知名度を高めていきました。

 

小コレクター運動と池田満寿夫

福井創美のメンバー堀栄治は池田満寿夫の恵まれない制作環境を知り、展覧会を催したり画廊を回ったりして池田の作品購入を呼びかけました。堀の献身的な行動により、頒布会活動は支援の輪を広げていきました。池田は精力的に版画制作を続け、小コレクター運動によって池田は版画家として大成するまで快適な制作環境を得るに至りました。

久保は池田満寿夫の展覧会に寄せて次のように述べています。

 

「彼の作品が、荒廃した現代社会の死の大海原に浮かぶ、小さな木片に付着した幾粒かの草の実であろうと、そこには生の何ものかがある。彼は、この広い地上に隠された魂の宝石を発掘せんと描き続ける、今日のひとりの画家である。」

 

久保と池田はパトロンと芸術家としての深い関係を築き、池田が国際的に活躍する一助となりました。

 

 

文責:M.H