続き《関連リンク集》もっと深く知りたい方へ 作品④~⑥
【「朝霧はつめたい」吉原英雄】
【画家・作品を知りたい人に】
https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28384.html
https://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=152703
「版画ネット -吉原英雄-」
http://www.hanganet.jp/hangaka/yoshihara-hideo.html
【作品を買いたい人に】
「リユースギャラリー清雅」
http://gallery-seiga.com/?pid=126877525
岡山にある中古美術品を取り扱うお店です。実店舗のみの販売。
「日本の古本屋」
https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=179796002
古書や美術品など様々なものを取り扱っているお店です。ネット販売あり。
「Bohemian's gallery」
http://www.bohemiansgallery.com/artist.php?name=吉原英雄&artist=1410
古書店の夏目書房が運営する美術作品を中心としたオンラインストアです。店頭販売,ネット販売ともにあり。
「古書と古美術こもれび」
https://www.komorebi.co.jp/h0195.htm
名古屋にある美術品売買のお店のオンライン通販HP。ヤフオクにも出店しています。
【 「遙かなる女」池田満寿夫】
「東京文化研究所HP -池田満寿夫-」
https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10572.html
【「Silk-62」オノサト・トシノブ】
「アートギャラリー」http://a011w.broada.jp/hokura/
オノサト・トシノブに関しての情報や主要作品の画像を掲載しています。
「ギャラリー ときの忘れものHP -カテゴリ:オノサト・トシノブの世界-」
http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/cat_50036448.html
ギャラリー『ときの忘れもの』さんのHP。カテゴリ検索していただくと、これまで出会ったオノサト・トシノブ作品に関しての情報や過去に行ったオノサト・トシノブ関連の展示の情報、写真を見ることができます。
文責:M.A
《関連リンク集》もっと深く知りたい方へ 作品①~③
さて、ここまでの記事をご覧になってみて、いかがだったでしょうか?
私たちは「ヴァーチャル展覧会」をテーマに今回このHPを使って皆様に作品を紹介し、版画美術の世界に触れて頂きました。
この記事では、彼らや、彼らの作品についてもっと知りたいと感じた方向けに各コラムの執筆者が集めた《リンク集》を掲示しています。作家によっては作品を買うことができるサイトを紹介している場合もあるため、もし小コレクターを目指すのであればぜひご活用ください。
(その際いかなるトラブルがあっても当サイトは責任を負いかねます。ご了承ください)
以下リンク集です。
【「指」瑛久】
「ときの忘れもの 瑛九」 http://tokinowasuremono.com/artist-a06-eiq/index.html
瑛久の生涯を簡単に紹介するほか、彼に関するエッセイもいくつか読むことができます。
より瑛久について知りたいあなたに。
【「南国の花」北川民次】
「東京文化研究所HP -北川民次-」
https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10035.html
北川民次の生涯や主要出展歴に関してまとめてあります。より深く知りたいあなたに。
「北川民次・北川民次アトリエ」 http://seto-guide.jp/setostory/setomono/tamizi
愛知県瀬戸市にある北川民次のアトリエについての記事です。アクセスや外観写真などもあるので、気になった方はぜひ。
【「日仏会館ポスター」靉嘔】
「軽井沢ニューアートミュージアムHP -「虹」の周辺―靉嘔について-」
「虹」の周辺―靉嘔について 本江邦夫 | 軽井沢ニューアートミュージアム (knam.jp)
靉嘔について美術史家の本江邦夫さんがわかりやすく説明してくれています。「虹の芸術家」靉嘔について知りたい人はぜひ。
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/131/
2012年に開催された靉嘔の回顧展についてのHPです。
靉嘔の概要や、靉嘔の有名な作品についてみたり知ったりできます。
文責:M.A
池田満寿夫と小コレクター運動
今回の更新は最後の作家と小コレクター運動との関係です。
池田満寿夫と小コレクター運動についてご紹介します。
小コレクター運動とは
小コレクター運動は、美術品の熱心なコレクターとしても知られていた美術評論家、久保貞次郎が中心となって行われた活動です。発端は、久保が提唱した美術教育の運動を行う「創造美育協会」の活動資金を得るために行われたオークションで、このオークションが1950年代に小コレクター運動として独立・発展しました。
小コレクター運動の目的①
この小コレクター運動には、1人3点以上の美術品を所有する人のことをささやかなコレクターという意味で「小コレクター」と名付けることで、一般の人々が気軽にコレクターを名乗り美術を世の中に浸透させる狙いがありました。実際、この運動で頒布された作品は、一般人でも手に入れやすい版画やデッサン水彩画などが多く取り扱われていたそうです。
小コレクター運動の目的②
また、小コレクター運動のもう一つの目的として挙げられるのが、この運動によって無名の作家の活動も支援することです。オークションで頒布されるのは久保が支援していた新進気鋭の作家達が制作した作品で、彼等はここで作品を売ることで収入と支持者を得、作家としての実力や知名度を高めていきました。
小コレクター運動と池田満寿夫
福井創美のメンバー堀栄治は池田満寿夫の恵まれない制作環境を知り、展覧会を催したり画廊を回ったりして池田の作品購入を呼びかけました。堀の献身的な行動により、頒布会活動は支援の輪を広げていきました。池田は精力的に版画制作を続け、小コレクター運動によって池田は版画家として大成するまで快適な制作環境を得るに至りました。
久保は池田満寿夫の展覧会に寄せて次のように述べています。
「彼の作品が、荒廃した現代社会の死の大海原に浮かぶ、小さな木片に付着した幾粒かの草の実であろうと、そこには生の何ものかがある。彼は、この広い地上に隠された魂の宝石を発掘せんと描き続ける、今日のひとりの画家である。」
久保と池田はパトロンと芸術家としての深い関係を築き、池田が国際的に活躍する一助となりました。
文責:M.H
オノサト・トシノブと小コレクター運動
今回の更新では、「Silkー62」を描いたオノサト・トシノブと小コレクター運動の紹介を行います。
おさらいになりますが、オノサト・トシノブ氏は日本の抽象絵画を代表する作家の1人で、応召とシベリア抑留のために捜索活動の中断を余儀なくされながらも画家としての創作活動を全うした人物です。
作風については、1955年から円と格子の画面分割のみによる錯視的な抽象絵画の制作を行うようになり、1970年代にはより複雑な構成に至ったことが知られています。
オノサトはヴェネツィア・ビエンナーレやその他欧米の美術展に積極的に出品・参画し、国際的な評価を得たという功績がありますが、彼が作家として評価を受けるようになった重要なきっかけとして、久保貞次郎氏との交流があります。
久保は同じく画家である瑛九が行っていたデモクラート協会を支援し、「創造美育協会」を組織しており、画家である瑛九と共に版画の講習会といった活動をしており、その一環として、久保は若い画家の作品をオークションで購入することで画家を支援するという取り組みをしていました。
さて、久保氏は今回の展覧会の重要なテーマである「小コレクター運動」を提唱した人物でもあります。
これは一般の人が美術に関心を持つきっかけとなることを目的として行なわれ、この運動によって多くの人が小コレクターになることで一般の人と美術の距離を近づけ、美術を世の中に浸透させること、そして無名の作家を支援することを目的としていました。
小コレクターとは、美術品を大規模に収集する人をイメージさせる「コレクター」に対し、作品を3点以上所有する人のことを指します。
久保は、小コレクターを増やすために大会や、無名の作家たちによる美術品の鑑賞頒布会も行い、この運動の最盛期には「小コレクター全国大会」という大会も開催をされました。この運動の中で支援を受けた作家の中にオノサト・トシノブ氏は名を連ねていました。
第一回目の出品者にはオノサトのほかに、瑛九、靉嘔、池田満寿夫らがいました。
彼らのつながりは小コレクター運動に留まらず、画家としての地位を押し上げることにつながっていきました。
この他にも、久保は1957年に「版画友の会」を創設、そして60~70年代の版画の時代を演出し、ヴェネツィア・ビエンナーレのコミッショナーとしてオノサト・トシノブらを世界の舞台に送り出したことは特筆されるべき功績でしょう。
このように、久保、そして彼が提唱した「小コレクター運動」はオノサトの芸術家人生に多大な影響を与えたというわけです。
文責:K.I.
靉嘔と小コレクター運動
こんにちは。
多くの作家達と小コレクター運動のつながりについて,これまでみてきましね。
今回は,虹のアーティスト・靉嘔と小コレクター運動についてです。
デモクラート美術家協会から小コレクター運動へ
靉嘔を小コレクター運動と繋ぐ一つのきっかけとなったのは、デモクラート美術家協会でしょう。
デモクラート美術家協会とは、瑛九を中心とした若い作家たちによって1951年に結成した組織のことです。当時の日本画壇が権威主義的、封建主義的であることに反抗し、画家の自由な作品制作、発表の場をつくることを目的としていました。
靉嘔はその理念に共感し、1953年にデモクラート美術家協会に加入します。
そこで靉嘔は、瑛九を通じて、のちに小コレクター運動の中心ともなる久保貞次郎と知り合うことになるのです。
創造美育運動と小コレクター運動
久保貞次郎を知った靉嘔は、久保が主導する「創造美育運動」に賛同し,運動に参加するようになります。
小コレクター運動は、創造美育運動と並行して始まっていおり,創造美育セミナールで資金集めのために新人の作品をオークションにしたのがきっかけでした。
その中で靉嘔の作品も頒布され、収入を得て、また知名度をあげるための機会となったのです。靉嘔は大量の作品を制作し、1958年に渡米するまでに、毎月5種類の版画を30~50部ほど刷り、100点以上のリトグラフを制作しています。
靉嘔と小コレクター運動
小コレクター運動によって靉嘔は支援者を得て、評価を得ていくことになります。
特に,1966年、ヴェネツィア・ビエンナーレへの出品を機にして、靉嘔は「虹のアーティスト」として世界的な評価を得ます。このときヴェネツィア・ビエンナーレの日本代表として靉嘔を選出したのは久保貞次郎でした。
靉嘔にとって、活動を続け、後の評価につながる道を進むことができたのは小コレクター運動の力による部分も多分にあったのではないでしょうか。
文責:M.Ak
吉原英雄と小コレクター運動
こんにちは。
今回は、吉原英雄と小コレクター運動の関わりについてご紹介します。
まず小コレクター運動について簡単におさらいしましょう。
小コレクター運動とは、
一人当たり三点以上の美術品を所有する人々を「小コレクター」と名付けることで、
美術に興味がない一般人の関心を呼び起こし、
無名の作家を支援しようとする取り組みのことです。
吉原英雄は1931年生まれの版画家で、
国際美術展で入選を複数経験するなど、ものすごい偉業を成し遂げた芸術家でした。
そんな吉原は、
1951年に瑛九がデモクラート美術家協会を創立すると、
そこに参加します。
そして1955年、
久保貞次郎*1が
小コレクター運動を開始し、
デモクラート美術家協会もその支援を受けるようになります。
吉原は2007年に亡くなりましたが、
2015年、福井県の「アートフル勝山の会」という
コレクター運動を今も支える団体による展覧会に作品が出品されるなど、
小コレクター運動において主要な役割を占めていたことがわかります。
偉大な芸術家であり、
さらに新たな美術界を牽引する存在としても活躍した吉原英雄。
このブログで紹介している他の芸術家たちと同じく、
尊敬すべきプロフェッショナルです。
文責: S.I